はるの玉手箱

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赤穂浪士ゆかりの寺

日曜の熊本市の一斉清掃と、我が家の生け垣のバリカンですっかり

筋肉痛で、昼前に「平山温泉」の「善屋」さんへ。

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今年オープンしたお店で今回で2回目。入浴料がちょっとお高めで、

前回訪れた際に税抜き500円券をいただいていましたので、期限切れ

になる前に使用することにしました。

 

とっても気持ちの良いお湯です。「平山温泉郷」は県の内外から

たくさんの来客があり人気の温泉郷です。筋肉痛はだいぶ楽になりました。

 

その後、山鹿市の「日輪禅寺」さんへ。

 

初めて訪れたお寺です。

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敷地が広いです。

 

大きな大仏様が遠くからでも目を引き、これは訪れなくては。

池に掛かる橋を渡り・・

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石段を登っていきます。

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とても静かな場所です。鳥のさえずりだけが聞こえていました。

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石段を上がり切ったところで突然現れる「大仏様」

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お、大きいい。7,8m位でしょうか、ちゃんと数珠を手にしておられます。

ロウソクと線香を上げてお参り。

 

こちらのお寺は2日前までに予約をすれば精進料理をいただくことも

できるそうです。

 

「日輪禅寺」さんのご創建は西暦1070代に遡り、一度荒廃したそうです。

その後西暦1316年に菊池氏により再興され、「後醍醐天皇」の「勅願所」

と定められたそうです。

 

敷地内に「大石内蔵助」像が建てられていたので不思議だったのですが、

仇討を遂げた赤穂浪士たちは十数名ずつ四つの藩にお預けの身になり、

その一つが細川藩江戸屋敷であったそうです。

 

当時の将軍「綱吉公」は仇討はまかりならぬと布告していたのですが、赤穂浪士

たちは密かに話し合い見事本懐を遂げられました。

 

熊本藩主であった「細川綱利公」は将軍の意に反して仇討を成し遂げた

浪士たちを「武士の鏡」と称え、預かりの期間の五十日間会席膳で接待した

そうです。

 

切腹後に義士(浪士)たちの遺髪をもらい受け、「細川綱利公」の菩提寺である

日輪寺に持ち帰り供養塔を建てられたそうです。

現在もこの場所に遺髪塔として残されており、それ故「大石内蔵助」像が

あるとのことです。

ですからこの日輪寺さんは赤穂浪士ゆかりの寺ということになるんですね。

 

遠い昔、仇討を成した四七名の内の十七名の遺髪がこの地にあるなんて

時代を共有しているようで感動しました。

 

どうか安らかにとお参りして、この地を後にしました。

 

帰宅後、呑気に出迎えてくれたハル。

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君の呑気さが母の一番の癒しになっていますよ。

 

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