はるの玉手箱

ニャンコと熊本・九州情報

5年

今日は熊本地震の前震からちょうど5年。

 

5年前の今日、震度7地震熊本県を襲った。

 

時間は夜9時過ぎ頃?

 

私はダブルワーク中であった。

 

大きな地鳴りに気が付き、ハッとした瞬間地面を突き上げるようなドンドンと

いう音と強い振動。

 

そして数十秒続いた大きな揺れ。

 

きっともうだめだ、この揺れではこの建物は持たないと思った。

 

思い浮かぶのは息子のこと。あの子は無事だろうか、私はもうだめかもしれない。

これでこの世ともお別れか・・・などと人は一瞬の間に様々な考えがよぎるものだ。

 

だが幸いにもケガもなくやり過ごせた。

 

しかしそれから余震が続きしばらくその場所から離れることはできなかった。

 

近くの民家の塀には乗用車がぶつかっていた。

 

走行中に揺れでハンドルを取られたのだろう。

 

当時私がいた場所は出入り口が一か所の小さなコンクリート造の建物。

 

一緒に居た人が危ないからと言って扉を閉めようとしたのを慌てて止めた。

 

地震の時は扉や窓は開けておいた方がいいですよ」

 

私は関東大震災を経験している神奈川県出身だ。

 

火災の避難訓練地震の際の避難訓練もよくする。

 

そして明治と大正の関東大震災のフィルムも見せられる。

 

地震の恐ろしさを植え付けられていた。

 

地震避難訓練の際、教室の窓側と廊下側にいるものは訓練が始まると

すぐに窓と扉を開け放ち、その後すぐに机の下にもぐる。

 

そして揺れがおさまったら校庭へ避難する。

 

扉や窓を開けないで机の下にもぐると建物が傾いたりした場合逃げ道が

閉ざされる可能性があるためと言い聞かされた。

 

何度も行った練習は忘れないものだ。

 

夫や同僚に聞くと学校では火災訓練はするが地震の訓練はしたことが

ないということであった。

 

今まで大きな地震に見舞われたことがなかったのかな?

  

10年前の東日本大震災の時も大勢亡くなった。

 

 火災も地震も、自然災害も常にとっさに動けるように日頃から訓練を

することが大事だと思う。

 

熊本地震から5か月後保護した小さな命。

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ボロボロで今にも消えそうな小さな命。

 

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今は私のかけがえのない命になっている。

 

あの時も大勢の人が亡くなった。

 

命あることに感謝だ。

 

いらしてくださってありがとうございます。

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