熊本城の大天守が完成し特別公開が10月5日からスタートします。
まだ工事中なので内部の見学はできないようで、工事のない日曜・祝日
のみの公開となっております。
熊本に嫁いてウン十年。恥ずかしながら熊本城内部には一度しか
入ったことがありません。
熊本城内には「宇土櫓」(うとやぐら)という櫓があり、
2016年4月の熊本地震の際もほぼ無傷であったという
ことです。
クレーンの横にあるのが大天守が完成した「熊本城」で、手前が「宇土櫓」
です。櫓というより立派なお城のように見えますが・・
熊本城は1607年に「加藤清正公」が築城されたもので、土木の神様らしい
まさに要塞と呼ばれる鉄壁の城であったそうです。
真ん中が「熊本城」
残念ながら当時の城は「西南戦争」の際に「西郷軍」に攻められ
焼失したとのことです。その時に現在の「上通り」と呼ばれる商店街も
焼失したそうです。当時の上通りは武家屋敷が多くあったそうです。
「西南戦争」の際にもこの「宇土櫓」は焼失を免れたようですね。
震災前の熊本城の姿は昭和初期に修復されてとのことですが、
江戸時代に積まれた石垣は震災でも無事であったようです。
当時の技術は恐るべきものであると、改めて感心してしまいます。
この「宇土櫓」がなぜ「宇土」と呼ばれているのかということですが、
生まれも育ちも熊本いう方々に聞くと「もとは宇土城にあったものを
移築した」との回答で、宇土城は現在の熊本県宇土市にあったとのこと
です。
「いつ移築されたの?すごく大変だったでしょうね」と問うと
「いつだろうね?」と返されます。
何だか謎めいていますが、実は移築されていないのではないかという
研究発表もあるようです。
謎は深まるばかり。謎めいた熊本城へ是非お運びくださいな。
私ももちろん行きますから。
あっご飯ね。
そう、謎解きはディナーの後でね。
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