今年1年を振り返っております。
しょんぼりしている私に夫が「そろそろ日田の祇園祭りだよな。どうする?
行こうか?」と言うので、出掛けることにしました。
日田市は江戸時代幕府の直轄領の俗称「天領地区」であったということです。
また日田市周辺は標高の高い山に囲まれ典型的な盆地であるため、夏は
とっても暑いです。
江戸時代日本の領地は皇室領、寺社領、大名領、旗本知行所、幕府直轄領に
分かれていたそうです。
その中でも日田市は幕府直轄領である天領として田畑だけではなく交通、
商業の重要拠点として幕府にとって主要財源となっていたそうです。
気候も暑いけれど景気も熱い所だったんだな~と思います。
祇園祭ですが、この日はお天気も良く気温もぐんぐん上昇しておりました。
ここ豆田地区は碁盤の目のようになっているようで、町中に小さな川が
流れています。
近くに立っていると川から風が吹いていい感じです。
町中を歩いていると平安時代(?)の装束をまとった方たちが・・
祇園祭といえば京都が有名ですが、日本のいたるところで祇園祭と名の付く祭りが
行われているようです。
祇園祭は厄除けの祭りとされていることと、スサノオノミコトを祭神とする
神社が各地に数多くあることが関係しているなど諸説あるようですね。
どこの祇園祭りも山車の形は違いますが、京都の祇園祭りに倣い山車(だし)や
神輿が町を練り歩くという神事が一般的なようです。
遠くからでもその大きさがうかがえます。5メートルはあるでしょうか立派な
山車です。
多くの山車にこのような人形が乗っています。文楽に用いられる人形に
似ています。
山車を引く方たちはとっても暑いでしょうね。見物している私たちも非常に
暑かったです。
青空に色鮮やかな山車が映えます。正面に見えているタペストリーは金糸を
用いて作られているそうです。
工夫を凝らした山車を見るのは楽しいです。引いている方たちは大変だと
思います。
一番上に人が。高い所なんですが・・
山車の車輪部分は木製でできていて、しかも方向舵がないので角を曲がる際は
とっても力仕事です。写真のように「せ~の」の掛け声とともに前に伸びている
丸太を使って向きを変えます。
何台もの山車はそれぞれデザインが異なり、どれも美しく仕上がっています。
この豆田地区は商店もありますが民家もあり、その店先や玄関前に水を張った
バケツなどの容器が置いてあります。
その水を沿道に撒き参加者や見物人が少しでも涼しく感じるようにとの配慮だと
思います。
祭りの参加者、関係者の方たちや地元の協力で伝統の祭りを守り、また盛り上げて
いるのだなと来るたびに感動します。
暑くてフラフラになりましたけど天領の地ににふさわしいい立派な祭りを今年も見物
することができました。
ひとしきり祭りを見物して帰路につきました。
留守番ありがとう、寂しかったね、ゴメンねハル。
そっかーつまんなかったか~じゃあチュールでもどうかね。
チュールという言葉を理解しているニャンコ達です。わらわらとどこからともなく
現れてチュールにかぶりつく。
左端は滅多に登場しないチビ。タマ氏の1歳下の妹です。チビは体は小さいけれど
態度は一番大きいです。
ハルがうまく舐められなくて、私の指を舐めている姿が笑えます。
小さな舌が見え隠れして可愛いです。
なかなかチュールにありつけないハル。兄たんの大きな顔が邪魔になっているよう
です。
チュールにありつくには顔の大きさと態度の大きさが重要なようです。
そうそう、しょんぼりの理由は日向市に住む叔母が亡くなったためです。
5月頃、入院中の叔母に会うために何度か日向市を訪れ、その後無事施設に
移ったと聞き、6月の終わり頃施設に面会に行きました。
叔母は少々物忘れがあるものの意外に元気であったので、まだまだ大丈夫と
思っていた矢先、7月19日に突然他界しました。
骨折の治療のために使用した薬の影響なのか内臓の機能が低下しており
あっけなくこの世を去ってしまいました。
悲しいけれど湿っぽいことが大嫌いな叔母でしたので、悲しい思い出とせず
これも人生、叔母の人生、私の人生の一部として見送りました。
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