はるの玉手箱

ニャンコと熊本・九州情報

あの日から・・

生きていると色々なことがある。

 

今年は終戦から75年。当時生まれた子供が75歳になる年だ。

 

75歳は戦争を知らない世代ということになる。

 

長い年月が経ったが、当時の状況を知り、命からがら生き延びた人たちに

とっては昨日のことのようではないのか。

 

きっと思い出したくもないだろう。

 

私が子供の頃は年配の先生方の中には戦争を体験された方が多かった。

 

授業中脱線してよくその話を聞かせてもらった。

 

中学の社会科の先生は特攻隊員であったと話されていた。

 

特攻隊員の多くの方たちはその尊い命を落とされている。

 

先生は当時発熱で搭乗することになっていた戦闘機に乗り込むことができなかった

という話だ。

 

そして直後に終戦を迎え、その命を落とすことはなかったと語っていた。

 

鹿児島県の知覧町の特攻平和会館という場所がある。

 

戦中、知覧町には特攻基地があったそうだ。

 

会館には命を落とした人たちの写真や手紙が展示してある。

 

戦争を美化していた異常な時代を戒めるための場所、そして若くして死ななくては

ならなかった人たちを忘れないための場所。

 

何よりも二度と同じ過ちをしてはならないという亡くなった人たちからのメッセージ

が込められている場所であると思う。

 

私も子を持つ親の一人である。当時、戦争に送り出さねばならなかった家族、母親

の気持ちを思うと胸が痛くなる。

 

戦死したことを告げる度に「おめでとうございます」などという言葉を発する

こと自体狂っている。

 

どこに怒りをぶつければよいのか・・国でしょ。当時の軍部でしょ。

 

よくも戦闘機で若者を戦艦や敵地に突っ込ませるなどということを考えたものだ。

 

人をモノ扱いした時代。狂気の時代。

 

今の日本は平和だと言えばそうなのだが、コロナがな~

 

日本中がこれ以上混乱しないためにも越県、不要不急の外出は避けよう。

 

でないとまた大切な命を亡くすなんてことになったら取り返しがつかない。

 

幸いまだ周りで感染した人はいない。こんな寝顔を見ることができるのも

健康であるおかげ。

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良く寝ておる。

 

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君がいるから母は頑張れる。

 

もうすぐ終戦記念日。当時のことを忘れず、当時の悲劇を語り継ぐことこそ

慰霊になるのではないか。

 

私たちは戦争の犠牲者から多くを学ばなければならないと思う。

 

いらしてくださってありがとうございます。

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